エンジニア

エンジニアのうつ病〜発症から回復、社会復帰まで〜

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対象者

本記事は「エンジニアでうつになった人、うつになりそうな人、プその家族」を対象にしています。

キヨシ
キヨシ
フォッフォッフォッ、キヨシ(@kiyothink12)じゃ^^今日は数名の方によるアンケート記事じゃ。皆さんうつになって回復した経験があるから、現在うつになってしまっている、なりそうな方、そしてその家族の方に何か参考になればと思うぞい。
ケイタ
ケイタ
何か良いきっかけとなってくれたらですね・・。
キヨシ
キヨシ
うむ、それではいってみようかのう。

役員や同僚の存在、そして忙しさによってうつ病に。現在は町工場で勤務しています。

男性です。30代後半です。エンジニア歴は10年以上です。

私は中小企業に勤めていますが、仕事が原因でうつ病になりました。

半年療養して回復した経験があります。

私の職場ですが、かなりの劣悪な環境でした。

まず有給を取らせて貰えませんでした。

先輩も含めて、土曜日出勤や遅くまでの残業は当たり前です。

なので、新入社員は3年ほどで退職し辞めていく人が続出です。

人間関係に関してはなんとも言えない部分もあります。というのも、仲が悪い訳では無いのですが、一部の役員に対して嫌気がさしていました。

また、私がうつ病になった原因の1つに同僚の存在があります。

私は現在30代後半で独身です。

しかし、特に仲の良かった同僚達は結婚して出世も早かったです。

更に彼らは転職をして綺麗に去って行きました。

特に1人は大手企業に移り年収も上がりました。

奥さんも眼を見張る美人で残された私は自分の情けなさに嫌気がさしました。

彼らが羨ましくてしょうがなかった。その為、連絡も取らない様にしています。

結婚していても更にモテている彼は私とは元々の素質が違いすぎました。

そんな状況と毎日の仕事の忙しさから私は体調を崩します。うつ病になりました。

最初は1週間休み、それが辛くなり、1ヶ月、更には半年の休みを取るまでになりました。

私は心身共にボロボロでした。

六畳一間の片田舎でお金も彼女も居ない私は誰に会う事も無く、一人でお茶漬けを毎日食べていました。

私は毎週病院に通いました。

睡眠薬やパキシルも処方して貰いました。

兎に角、会社や社会に足が向かないのでした。

誰とも連絡を取る気がしません。そんな毎日でした。

社会復帰するには完治してからというのは無理である事を知りました。

辛いですが少しずつ社会に慣れていくしか無いのです。

私はリクルートエージェントにも通う様になりました。

休職中になんとしても転職したいと考えたのです。

また、リクルートの方も色々と相談に乗って頂き、励みになりました。

現在ですが小さい町工場で働いています。

そこは他に障害者の人も雇っています。

給料は以前より更に下がりましたが社会復帰が目的なので構いません。

以前よりはだいぶ楽になりました。

趣味の阿波踊りやビデオ鑑賞で休みの日は過ごしております。

もうすぐ40才で1人過ごしていますが私にはコレが身の丈な人生だと受け止めて毎日過ごしております。

うつ病と診断され4ヶ月療養。現在は社内転職、コミュニティ活動、クラウドソーシングなどを活用し復職。

男性です。40代です。エンジニア歴は10年以上です。

私が30代の頃のある日、どうしても会社へ行けなくなってしまいました。

会社の保健師の勧めでメンタルクリニックを受診したところ「うつ病」だと診断されました。

会社を退職はせずに長期休養と形をとらせてもらい、メンタルクリニックへ通院しながら自宅療養をすることになりました。

会社からメンタルクリニックへの受信を進められたこともあり、会社へはうつ病と診断されたことをそのまま伝えました。

そのため、最低限の務め、会社への義務ということで会社へメールでの連絡、長期休養に入る中でもできるだけ早い段階で会社人事の担当の方との面談、療養中に定期的に会社への連絡をすること前提で休職扱いとなりました。

辛かったのは、やはり会社へ行けなくなった直後で自宅外に出ることも厳しく、会社へ連絡することも厳しかったです。

そして、自宅療養は約4か月続きました。

不眠症にもなっていたので睡眠導入剤も処方してもらいつつ、メンタルクリニックに通い療養を続けました。

1か月、2か月と療養をする中、自宅から外出できるようになり、自然の多い山や海に行くこともありました。

水泳やハイキングといった運動になるようなことをしていた訳ではないですが、そこへ行ってその場の空気を吸って気分転換をしていました。

何をするという程の事は無いですがなんとなく自然の中で過ごしたくなり、そんなことをするときもありました。

療養中の結果として療養が明けることとなった4か月になろうかという頃、復職を目標としながらメンタルクリニックの先生からも進められ、少しでも別の目標も立てることにしました。

ただし、負担にならない程度の目標です。

一つはジョギングなど職場などに閉じこもらずウォーキングやジョギングなど体を動かすようにすることでした。

もう一つは共感できる人を探すためにも、会社の外へ出て活動してみる、つまりコミュニティ活動をしてみることでした。

そんな目標を立てて程なく、メンタルクリニックの先生にも一応のうつ病からの回復をしたということで、元の会社へ復職することになりました。

退職はしませんでした。

しかし、同じ職場へ戻ることは正直厳しかったです。

うつ病になる前にうまくいっていなかった上司とも復職後にうまくいくようなことはなく、とても厳しい状況でした。

そんな状況の中、状況を変えるために社内転職をすることにしました。

元々組み込み系のエンジニアだったのですが、社内SE・Web系エンジニアとして社内転職しました。

同じ会社なので根本とした社内風土は変わらず、自分と会わない部分もありましたが、直接の上司だけでも変わることでかなり楽になりました。

そんな感じでうつだった時を乗り切り、社内転職、そしてコミュニティー活動や、現在はクラウドソーシングでフリーランス活動もしております。

激務のプロジェクトにアサインされてうつが発症。現在はコンビニで働いているが前職を辞めて良かった。

男性です。30代後半です。エンジニア歴は1〜3年です。

もともと病気がちだったのですが、プログラマーとして配属され、張り切って頑張っていました。

若さもあったし、ほかの同期たちよりも劣っているとは思われたくなかったこともあり、体調がしんどいことも押し隠して無理をしてがむしゃらに頑張っていました。

私が配属されたプロジェクトは最初は勉強期間を2週間ほどあててもらうなど、最初は余裕がありましたが、だんだんと忙しくなり上司も余裕がなくなってきたのか途中からは叱責されることも何度かありました。

それでも、「自分が悪いのだから」と反省して、一生懸命まわりの先輩たちや同期についていこうと頑張っていました。

考えてみたら、このときすでに体は悲鳴をあげていたと思います。

実際、体調が悪いということが日常になっていて、それを気にも留めずに精神論で勝負をしていました。

休みもほとんどなく徹夜が半分、家に帰れたら御の字のような忙しいプロジェクトが何とか終わり、3週間ほどの休暇をもらったときは、いっきに疲れが出たのかずっと家で寝込んでいました。

1年目がそれで終わり、次の年は別のプロジェクトに配属されました。

上司や営業の人の話では、前ほど忙しくはないプロジェクトだから安心してといわれていて、正直ほっとしていました。

その言葉の通り、その職場の仕事は本当に今までが嘘のように夕暮れには帰れることが多く、いろいろと学ぶ時間もあり、やっと普通の仕事ができると安堵しました。

そのような生活が半年ほど続いていたのですが、残念ながらほかの忙しいプロジェクトで人員が必要だからと同じプロジェクトにいた先輩と一緒に移動させられました。

自分が以前に金融関係のソフト開発もしたいといっていたのを覚えていた上司が推薦したのかもしれませんが、金融関係のソフト開発がこれほどの修羅場だとは思いもしませんでした。

金融関係のソフト開発のプロジェクトに入って数週間、常に忙しい職場で、戦場に戻らされてしまったという気持ちが出てきて体が萎縮しているようでした。

そこで私はついに入院することになりました。

持病が悪化しすぎてしまい、通院先の先生から入院をすすめられたのです。

ほんの3週間でしたが、私にとっては天国のような入院期間でした。

体もなんとか回復しました。

しかし、プロジェクトに戻ろうとすると心が拒否するのです。

もう死にたい、そんな気持ちに支配されました。

冷静に考えればやめるという選択肢もあったのに、だんだんと視野がせまくなっていたことにはその時は気づきませんでした。

結果として、自殺企図をしてしまい、私は精神科の診察を受けることになりました。

そこで言われた診断結果はうつ病でした。

だんだん視野が狭くなり、最後には仕事に行きたくない、死にたいという気持ちしかなかった私は精神的な病気になっていたとそこで気づきました。

その後は、診断書を見せて依願退職という形で会社をやめ、1年ほどは貯金で療養生活をしました。

最初の数か月はいろいろなものから解放されて天国にいるような気持でした。

そのあとは、現実を考えるようになって、たまに奇声をあげるような不安定な時期が続きました。

そして、いずれは働かないといけないという気持ちから逃げられなくなり、試しにコンビニのアルバイトを始めました。

収入は減りましたが、自分のペースで仕事ができ、コンビニの人たちも良い人ばかりで今は休みがほとんどない体が悲鳴をあげても無理やり働いていた会社をやめてよかったと思っています。

業務のプレッシャーや時間に追われうつ病に。家族のために前向きにリハビリし、障害者雇用として大手企業に就職。

男性です。20代後半です。エンジニア歴は3〜5年です。

私は、大学卒業後5年間、機械設計や設備関連の保全設計や改良に携わってきました。

結論から申し上げます。

退職については、案件(プロジェクト)が全て完了するまで退職が出来ずうつが悪化してしまいました。

退職を申し出てから、実際退職が出来たのはプロジェクトが全て完了した1年後でした。

なぜ、退職日が伸びたか?っと言うと、定期的頂いていた案件や私自身を頼って仕事を依頼するお客様が多くおり断れず(会社命令)引き継ぎや挨拶回り等で退職日が延びた理由です。

今思うと、鬱をさらに悪化させるだけであってきっぱり退職願ではなく退職届を提出すれば良かったと後悔しております。

うつ病になった原因については、納期や設計(3D)のプレッシャーや私自身が設計から作成、そして配置、実際稼働までの期間中は全て時間との闘いで従業員も少なく全て私が行った。

なおかつ案件が1件だけではないので常に頭がパンクしておりました。しっかり休んだ日がありますか?っと聞かれたら、1日も無かったですと答えるぐらい多忙でした。上記の内容が鬱病の原因です。

鬱病と診断されるまでは、頭痛・吐き気・食欲不振・不眠症・手の震えなど毎日ありました。

初期段階で受診していれば良かったのですが、現場作業中に頭痛で倒れるまで病院に行く時間が無かったのでうつ病の診断が最悪な状態でした。

うつ病が発覚してからは、医者より休業するよう申告を受けましたが仕事がある故に保留にして社長に相談したところ案件が全て完了および引き継ぎが完了するまでは休ませることが出来ないと言われたためうつ病の進行を悪化させながら就業しておりました。

全てのタスクが完了後は、主治医に診断書を頂き3ヶ月の休業しその間は仕事のことを考えずとりあえず寝込んでおりました。

人と接するのも億劫になってしまい、休業後は退職の許可が下り無事退職致しました。

ただ、貯金だけでは生活が出来ないのでソーシャルワーカーに相談し傷病手当や精神障害者手帳を利用し通院しながらまずはうつ病というより自分と向き合い自信や思いや気持ちの持ち方など薬を服用してリハビリ致しました。

退職後、うつ病完治までは至っておりませんが1年後に障害者雇用として受け入れて頂ける大手企業に現在就業しております。

リハビリや周りの方からの支えがあって、前職に培ったPCスキル及び営業力を興味持って頂いた企業に就職できて今は充実しております。

本来なら、自殺や自傷行為なども頭に過ぎったこともありましたが家族がおり嫁と子供がいる以上やってはいけないと踏みとどまり家族のために前向きにリハビリしてきたから今があると思っております。

うつからは1年程で回復したが、その影響で現在も体調的に無理がきかない身体に。

女性です。30代後半です。エンジニア歴は1年~3年です。

うつ病になった原因は職場環境だと思っています。

私はプログラマだったのですが、プログラムを組むという仕事をしているといろいろな会社の方と同じチームで働く事があると思います。

私も以前は、そんなチームにいました。

当時、私は大学を卒業し、就職した会社からプログラマとして、ある企業に出向したのですが、出向先には派遣社員が多く在籍していました。

しかし、その中に自分と同じ会社(派遣元)の社員は居ませんでした。

新卒だった私はどうして良いか分からずおりましたが、当時できる努力はしていたと思ってます。

しかし、教育担当等というものもなく、出向直後から一度も仕事を教えてもらうことができませんでした。

唯一できることといえば、たまに顔を出す出向先の責任者に指示を仰ぐくらい。

本当に全くといっていいほど、仕事をさせてもらえませんでした。

後から分かったのですが、出向先の会社は派遣派閥が酷く、私のように同じ派遣会社の社員が居ない者はイジメの標的だったそうです。(というのも自社の社員が、以前、同じ職場の別部署で、精神的に辛くなり、退職に追い込まれたことがあるということを、後から聞いて知ったのですが)

そこから仕事をしないというレッテルを貼られてしまい、私の出向先での業務評価はすこぶる悪くなりました。

その頃、自社の上司には毎日のようにメールで怒られ、イジメのカモになっていることを知らない私は、必死に仕事をもらえるようにと考え悩み続け、その度に自分が悪いと思い込んでいったのです。

私の体調は段々と悪化していきました。

それに拍車をかけたのが、出向先の暗黙のルール。

それは、「仕事がなくても20時まで残業しろ」というものでした。

「自社の指導で朝8時には出勤し夜20時まで。無い仕事をやれ」と言われて、座り続けました。

それでも何とか出勤していたのですが、自分が虚しいものに思えて、もう、とにかく居なくなりたいと考えるようになっていました。

そしてインフルエンザにかかった後、会社に行く事が出来なくなりました。

そこで、気力がぷっつりを切れてしまったのです。

結局、直ぐに出向先との契約が打ち切られ自社に戻り、待機社員としてですが、実質は療養となりました。

私の場合は派遣社員であったことが、ある意味では良かったのでしょう。

長くうつ状態で過ごすことがなかった分、回復も1年程と早かったと思います。

薬も副作用の方が酷かったので、直ぐにやめました。

転職はすぐにできました。

面接ではうつ状態にあったのは職場環境が原因であったということをしっかり説明しました。(面接の方も前職の環境を理解してくれました)

転職後の会社はとても良い会社で、本当にお世話になりました。

しかし、うつの影響からか、全くと言っていいほど、体調的に無理がきかなくなってしまっており、婚姻を機に退職しました。

現在は、子育てをしながら、在宅の仕事を取っている状態です。

無理はできませんので、子供たちが大きくなるまでは、このペースでの仕事となりそうです。

うつ病からアルコール依存症に。現在はいい人に囲まれて働いています。早く転職すれば良かった。

男性です。20代後半です。エンジニア歴は1年~3年です。

立ち仕事や営業はとても向いていないと思ったのでエンジニアとして就職をしました。

しかし、エンジニアの世界も甘くなく退職することになりました。

うつ病が原因です。

未経験でもOKということだったので、パソコンが得意だったわたしはエンジニアになることにしたのですが、分からないことだらけで周りの人達と沢山コミュニケーションをとらなければいけなかったのが、辛かったです。

何か聞く度に「自分で勉強してこい」というような態度をとられ、しかし未経験なので何を勉強して良いのか分からないという辛さがありました。

またサービス残業も当たり前のように行われていて、ずっと働いているのにあまりお金がもらえず、休める時間も少ないことが不満でした。

わたしは明るい性格をしていると思うのですが、プレッシャーで精神が潰されてしまい、だんだん気持ちが落ち込んでいくようになりました。

家にいてもちっとも落ち着かないというような日々が続きました。

そしてある日突然「会社に行きたくない」という気持ちでいっぱいになり、体が動かなくなってしまいました。

その日は無断欠勤となりました。

そのまま精神病院へ行き、診断書をもらいました。

結果はうつ病ということでしたが、うつ病だったショックよりも「これでやっと休めるんだ」という安心感が強かったです。

診断書を手に入れたので、余裕がある時に電話をして、そのまま休職をすることとなりました。

向こうからすると「しばらく休めば復帰するだろう」という読みだったとは思いますが、こちらからすると潰されただけで何の義理もないので、そのままやめました。

精神が回復しないので有給で貰ったお金でお酒を飲んだり、好きなところに行ったりするようになりました。

うつ病だったら出歩けないだろというイメージがあるのですが、好きなことならどうにか出来るのです。

しかし、今度はアルコール依存症になってしまった為、更に精神が病んでしましました。

なのでゆっくりとアルコールを飲まなくても楽しめることを探して行くことにしました。

そうやって暮らしているうちに精神が回復し、労働意欲も湧いてきたので、就職活動をすることにしました。

それまでの期間は約一年です。

勿論面接などでつっこまれたりすることもありましたが、「日雇いのバイトをして引っ越し資金と就職資金をためていた」ということにしました。

現在はいい人が多い職場で楽しく働きながら暮らしています。

「うつ病になる前にさっさと転職してしまえば苦労はしなかったな」と思いました。

子供の障がいと仕事の忙しさがのしかかってうつ病に。障害年金の存在は大きく、支えらもらったと思う。

男性です。40代です。エンジニア歴は10年以上です。

うつ病になったきっかけですが、最初の原因は子どもにあります。

子どもが重度知的障がいと分かってから、毎日介護の連続で精神的にまいってしまいました。

つぎの原因として、会社が要因効率化で人員を削減し、私ばかりに仕事が舞い込むように
なりました。

私の仕事は通信関係でネットワークインフラを担当していました。

以前は3人で仕事を回していたのですが、要因効率化で1人削減されました。

さらに別の1人は仕事をまったくしないので、自分ばかり仕事が舞い込んできて、忙殺されてしまいました。

残業は月に50時間を軽く越え、二ヶ月で100時間以上になることが常態化してきました。

家庭と仕事でそれぞれ忙殺され、自分の精神がおかしくなってしまいました。

もともと血液型がA型の生真面目な性格なので、家庭と仕事をどちらもパーフェクトにしようという気概からうつ病を患ってしまいました。

社会人になって23年目ですが、ちょうど20年目に会社を退職しました。

仕事と家庭、どちらを優先するかというと、やはり家庭です。

このまま仕事と家庭の両方をやりくりすると、自分が完全におかしくなってしまうと思い、
会社のほうを辞めることにしました。

会社からは辞めないように慰留されましたが断って退職しました。

退職して3年ほど心療内科に通い、療養しています。

精神面はだいぶ落ち着いてきており、日常生活が何とか過ごせるようになってきました。

仕事がない期間は、障害年金を利用して、当座の資金を工面していました。

そこで、また社会に復帰しようと思いました。

就職活動するときに、面接のときに20年目で会社をやめた理由などを聞かれましたが、家庭の事情ということで、うつ病で退職したことは伏せました。

なんとか、今の新しい会社に就職することができました。

良い心療内科を見つけることができ、薬を服用しながら仕事と家庭を両立させています。

仕事は以前と比較してそれほどきつくなく、定時出勤定時退社です。

心にも余裕が出てきて、家庭での生活も楽しめるようになってきました。

うつ病は無理をすることが一番よくないです。

ほどほどに気楽に考えてやっていくことが一番の特効薬だと思っています。

また、障害年金の存在も非常に大きく、収入が途絶えることがなかったことが今の自分を
ささえていると思っています。

パワハラでうつになり、心療内科では漢方薬を処方してもらい3ヶ月で改善

女性です。40代です。エンジニア歴は10年以上です。

子育てしながらエンジニアとして勤務していましたが、やはり保育園へ通っていると子供は色々と病気をもらってくるので、よく保育園から職場へ電話がかかってきて「熱があるのでお迎えに来てください」と言われることが多々ありました。

その度に職場では、アレコレ言われるようになりました。

男性が多い職場ですが、私にハッキリというのではなく影でコソコソ言っているのでかなり嫌な雰囲気になっていました。

「ご主人の収入が少ないから働くの?」など色々という方が多いで、私自身かなり精神的にもまいってきました。

そして、朝起きても会社へ行くことが億劫に感じるようになり、朝起きれなくなってしまいました。

しばらく何もしたくないような脱力感を日々感じるようになり、子供の声を聞くのもいやになって、何もできなくなってしまったので心療内科へ通うようになってからだいぶ心が楽になり、仕事はそのまま退職することにしました。

今になってみると職場ではパワハラを受けていたんだなぁと実感しています。

療養期間は約3ヶ月でしたが、朝はとにかく起きることができなくなり、精神的なうつになったのを実感しました。心療内科では漢方薬を使った治療を行い、少しずつ改善して3ヶ月で以前の自分に戻ることができたのでスッキリしました。

再就職する際にやはり子供のことやうつで治療していたことなど、色々と面接では聞かれましたが、正直に答えました。

子供が体調を崩したら自分が看病するし、うつで治療していた頃は心療内科へ通い今は改善したことな正直に伝え、そして色々と職場で言われていたことも話しました。

そういう部分も含めて採用が決まり、そして勤務しています。

今の職場は、女性が多く短時間勤務もできるので、パートで仕事をスタートすることにしました。

フルタイム勤務だとやはり子育て中は子供との時間も優先した方が良いとアドバイスを受けましたし、やはり皆さん子育て中の方も多い職場なので、子供が熱を出した時など、色々と理解ある方々が多いので自分としてはとても働きやすい環境だと実感しています。

何より「働く環境はとても重要だなぁ」と実際、パワハラを受けてうつになった経験からそう感じるようになりました。

自分の時間もきちんと作ることができますし、ライフスタイルにあった働き方ができるようになったことで、大きく変化したのを自分でも体感できるようになりました。

こうした取り組み方はとても重要だし、仕事を通して変化できました。

パワハラでうつになり、療養期間は5,6年に及びましたが、うつ病からの復帰プログラムに参加し社会復帰。

男性です。30代前半です。エンジニア歴は3〜5年以上です。

私は、3年ほどSE/プログラマの仕事をしていました。

うつ病になったきっかけは、職場環境、人間関係、自分の性格、仕事内容にかなり起因していると思います。

勤務環境は、自社から客先の会社へ出向という形で転勤になり、慣れない環境での仕事となりました。

その環境は、せわしなく、何をすればいいかわからない状況から始まり、専門用語や客先用語など難易度の高い仕事をすることになり、納期までに終わらせるために月100時間残業した期間がありました。

人間関係は、上司や先輩が何も喋らなく、こちらから質問しても、質問の意味がわからないといった回答が来ることが多発し、自分は出来ない人間だと思われ、かなり悪化していったと思われます。

しまいには、「何がわからないのかわからない状況」に陥り、かなりのパワハラを受けました。

自分の性格は、コツコツと真面目に作業をこなす性格の優しいタイプだと自覚しているので、職場にきつい人がいたら、声を聞いただけでも真っ白になってしまうことがあります。

仕事内容としては、大企業向けのスイッチングハブのファームウェアの開発で、UNIX環境のC言語を使ったシステムの改良が1年目の主な内容でした。

また、2,3年以降は、設計から開発、テストまで関わり、一連の工程を経験しました。

ある日、このような過酷な状況で何もしたくない状況が何日か見られ、それによるパワハラもエスカレートし、有給を全て消化してから退職することとなり、離職票などの手続きを本社で行うこととなりました。

療養した期間は、5,6年で、主に心療内科による投薬治療で、気分の悪い日もあればいい日もあるということを繰り返しながら、療養していくことになり、途中でADHDの発達障害だと診断が下りました。

うつ病は治りつつありますが、何かのきっかけで再発する傾向があることに注意しながら生活しています。

社会復帰に関して、うつ病からの復帰プログラムに参加し、そのプログラムの課程で、就労継続支援A型の施設での面談があり、面談した段階で、雇用されることとなりました。

現在のそこで働いて、6年目となりますが、できるだけ自分のしたいことや出来ることを要望しながら作業を行い、自分の障害の特性やこれまでの経験を活かせた仕事を目指しながら、コツコツと作業を重ねています。

誰でも出来る簡単な仕事から、技術的な仕事まで広範囲にマイペースで作業を行っています。

顧客の無理な要望でうつになり休職。復職したが再びつらくなり退職。現在は在宅フリーランスで働いています。

女性です。30代前半です。エンジニア歴は5〜9年以上です。

うつ病になったきっかけは、入社3年目に初めて社内を出て顧客先へ駐在したことでした。

顧客先は建設関係で殺伐としており、「社員は始発に帰るのが当たり前」という古い風潮もあって、駐在する前から不安でした。

それでも営業からは「顧客と直接やり取りすることはないから。営業が中に入って勤務体系は守ってあげるから」と言われていました。

しかし、実際に駐在が始まるといちいち営業や上司を通してくる顧客ではなく、「こんな風にシステムを変えたいけど、できる?」「1時間以内に変更してほしい」など、直接システム開発担当の私に言ってくるようになりました。

当時は経験が浅く、上司と相談して開発を担当していた私は、とても困惑しました。

社内にいた時のシステム開発の流れとは全く異なっていたからです。

「上司と相談させて下さい」「プログラムを確認してみないと分からないのでお待ちください」と話しても、顧客からは「すぐにできないの?」「使えない」という対応をさえ、日に日に本当に自分が使えないやつだと思うようになっていきました。

もともと完璧主義で、顧客の要望にはきちんと応えたいという気持ちもあったのですが、自分の技術が足りないことで、逆に周囲に迷惑をかけている気がしてしまっていました。

上司に何度も相談しましたが、「建設関係は現場主義だから仕方ないね」と言われるばかりで、具体的な改善策もありませんでした。

食べることが大好きだったのに興味もなくなり、だんだんと痩せていき、同僚から勧められてクリニックを受診してうつ病と診断されました。

その後、一度自社に戻され、社内の仕事に戻ることができたのですが、気持ちも体調もなかなか戻りません。

遅刻することが増えた頃、総務の方に呼び出させて「明日から休養するように」と命じられました。

会社はそのまま辞めることはなく、約1年半の間お休みさせてもらいました。

休養中は実家に戻ってゆっくりと過ごしました。

友人たちと会って話をしたり、両親が作る栄養のある料理を食べたりして徐々に回復してきたように思います。

上司や同僚は駐在先の厳しい環境を理解してくれていたので、回復が遅いことも温かく見守ってくれ、会社を辞めることなく職場に復帰することができました。

復帰時は時短勤務から開始して、3か月程かけて普段の勤務時間に戻していきました。

復帰後1年が経った頃、再び気持ちが辛くなってきて休むことが増え、退職をしました。

退職後、ハローワークを通じて就職活動を行っていた時期もあったのですが、うつ病だったということはハローワークの職員の方にも言い出せませんでした。

現在はフリーランスとして在宅で働いています。

会社勤めをしていた頃は休むことへの罪悪感がとても強かったので、無理をしていたことも多かったように思います。

バリバリ働けていた当時が懐かしい気持ちもありますが、今は気持ちが落ち着いて過ごせているので、今の働き方に満足しています。

<まとめ>エンジニアのうつ病体験記〜発症から回復、社会復帰まで〜

キヨシ
キヨシ
うむ、みなさんそれぞれ苦しい思いをされて、様々な境遇、思いを抱えて復帰されたようじゃが、心(メンタル)の問題は”完治した”とは言い切れないところもあるじゃろうから、良い環境、良い人間関係の中で自分にプレッシャーをかけることなく過ごせたらなと思うよ。
ケイタ
ケイタ
そうですね、、すごく責任感のある方、真面目に真摯に仕事に取り組む方ほど上手に消化したり良い意味で誤魔化したり出来なくて、鬱になってしまったりするのでしょうね、。
キヨシ
キヨシ
うむ、うつ病は職場環境の改善はもとよりじゃがなかなか簡単に社会が変わって、全ての会社が変わるというのは難しい。じゃからせめて周りの家族や友人がしっかりと理解し長い目で支えてあげることが大事じゃと思う。また、職場から”逃げる”ことも時に大事じゃ。「自分がいないと仕事が回らなくなる」と自分を追い込まないことじゃ。
ケイタ
ケイタ
そうですね、僕も周りの友人がそういう状況にいるんじゃないかなって察知したらせめて話を聞いてあげて無理をさせないようにしたいと思います。
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キヨシ
キヨシ
キヨシじゃよ^^ 30歳を超えてからエンジニアに転身。現在はリモートワークしながら海外と日本を行き来して自由気ままに暮らしておるよ( ^ω^ ) フォッフォッフォッ